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2005年12月25日 (日)
2005年12月22日 (木)
管理人より
<以前から閲覧して下さっていた皆様へ>
・とりあえず一通りの工事は完了しましたので、ご連絡申し上げます。
サイトのアドレスも以下のものに変更になりましたのでお知らせ致します。
http://wagahaitotenekodearu.seesaa.net/
・もうあと少しで今年も終わりとなりますが、風邪など引かないよう気をつけて下さい。
・それでは、引き続き執筆者の猫に頑張ってもらおうと思いますので、宜しくお願い致します。
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2005年12月20日 (火)
管理人よりお知らせ
現在、サイトを大幅に変更中なので、しばらくお待ち下さい。
どのくらい時間がかかるかは、ちょっとまだ不明ですが、少なくとも夜まではかかると思いますし、もしかしたら2日くらいかかってしまうかもしれません。
執筆者の猫もやや疲れ気味のようですし、もうしばらくお待ちお待ち頂けたらなと思います。申し訳ありません。
急に寒くなって参りました。皆様も、風邪など引かないように気をつけて下さい。
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2005年12月19日 (月)
仙台道中膝栗毛~日曜編~
日曜は少し時間があったから、仙台市内の観光スポットを周遊している「るーぷる仙台」というバスに乗った。
仙台駅前のバス停は、こんな感じである。
バスは満員でぎゅうぎゅうであった。入口ドア付近の人間をやっと押し込んでドアが閉まる始末であった。
途中、「右に土井晩翠の建物があります。」などという感じで様々なアナウンスが流れるのであるが、何ゆえ人間でごった返しであるから、左側にいた我輩には右側の風景は見えない。
「左手に見えますのは、仙台高等裁判所です。」と、今度は左側の風景のアナウンスが流れたから、どれどれと思って人間の足の隙間から外を覗いた。が、運転手がアナウンスを流すのをやや遅れたとみえて、もうすでに通り過ぎているという始末である。
気を取り直してまず我輩が降りたところは、瑞鳳殿前であった。瑞鳳殿とは、かの「独眼竜」の異名を持つ戦国武将、伊達政宗公が眠っているところである。
バス停を降りると、経ヶ峯の森という神聖な感じの漂う森が現れた。
我輩の驚くのは、木の立派なことである。根元の太く真っ直ぐに天に向かって伸びたこの杉の木は、樹齢数百年という。
森の静寂に心が研ぎ澄まされる気分であった。あの家族のいる騒がしい家の中とは、全く逆の世界である。
観光に来た御老人たちは、「階段、まだ続くの? 大変だな~。」と言いながら、せっせと階段を登っておる。カメラをぶら下げた我輩をじろじろと見る御老人もいたが、おもちゃのカメラだと思ったのであろう、奪いに来る者はいなかった。
階段を上まで登ってきて瑞鳳殿の前に着いたが、入場料が700円もしたので、金を持たぬ我輩は入れなかった。無論、策を飛び越えて入ってもいいのであるが、金を払わずに侵入したら政宗公の英霊に申し訳ないと思って止めた。いや、本当のことを言えば、金を払わずに足を踏み入れたが最後、独眼竜政宗公の霊魂に「金を払え~。」と呪われるのではないかと、怖れたのである。
もしこれが豊臣秀吉などの御墓前であったならば、「金なくば、忍んで入ろう、ホトトギス」などと念じて入れば平気な感じもする。
もしこれが徳川家康などの御墓前であったならば、家康の霊は「金なくば、今度来たとき払ってくれるまで待とう、ホトトギス」などと言って許してくれそうである。ただ、この標語は少々語感が悪いのである、、、、。
もしこれが織田信長などの御墓前であったならば、「金なくば、殺してしまえ、ホトトギス」とでも云ったところであろうか、、、、。これは危険である。絶対に無銭では入れない。いや、むしろ、ちゃんと入場料金を払っても入るのが躊躇される。墓の前でちょっとよだれなどを垂らしでもすれば、殺されそうである。
独眼竜政宗公の気質については、よく分からぬが、外見は信長的である。それゆえ、我輩は怖れをなして侵入は控えたという次第である。それで、入口の横から写真だけ一枚撮った(上の写真)。
次は、仙台城跡(青葉城跡)へ行ってみた。冷たい風と雪で、体が冷たくなってきたが、城を見るためならこれしきのこと、と思って歩いていくと、
政宗公の銅像があった。
やはり、剛毅な威厳が漂っている。無銭で墓前へ潜入しなくて良かったと改めて感じた次第である。
我輩は、城はどこかと思って探したが、どこにも見当たらない。ちょうど野良猫がいたので、「城はどこだ?」と尋ねてみた。すると、
「ほほう、お主は、この辺の猫ではないな? なぜなら、この辺の猫ならそんな質問をする馬鹿猫いないものなあ。」
と言う。馬鹿猫とは何を言うか、と思ったが、ここは仙台ゆえ、もし変な口を利いて喧嘩になり仲間でも呼ばれたら敵わぬと思った。だから、
「そうかい、何故馬鹿って言うんだね、君は?」
と、丁寧に返した。すると、その仙台猫は、
「ここは、仙台城跡だぜ。仙台城は、もう明治時代になくなってしまったのだ。今はこの城跡があるだけなのだ。もし仙台城の様子が見たかったら、向こうにある資料館の復元モデルでも見るんだな。」
と、言う。
我輩は己の無知に恥じ入ったけれども、動揺を見せぬように、「かたじけない。」と言い、我輩の持っていた秋刀魚の尻尾をくれてやった。これはちょうどここに来る途中で見つけたご馳走であったが、その仙台猫がこの秋刀魚をちらちらと見ているのに我輩は気づいていたのでくれてやったというわけである。案の定、我輩が与えるや否や、飛びついた。
天守台のあったところから、一枚。
この写真からも寒気が窺えるであろう。夏に撮影したならば、杜の都が一望できたものを、これではあまりに暗い世界である。閻魔大王でも住んでいそうである。
仙台城跡。政宗公の築いた栄華も、今は空しき廃墟、、、。
次はどこに行こうかとも思ったが、寒いし、帰るのが遅くなるのも嫌であるし、駅に戻ることにした。
仙台駅内の一風景。前方に見える青い物体は、ドコモダケなる携帯電話会社ドコモのマスコット?である。
因みに、こんな感じである。
では、さようなら、仙台。また、いつか来てみようと思う。東北新幹線で、東京へ帰る。めでたし、めでたし。
(終)
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2005年12月18日 (日)
仙台道中膝栗毛~土曜編~
我輩は、土曜から日曜にかけて東北地方の宮城県仙台市へ行ってきた。
我輩が仙台に到着したのは、午後6時半頃である。駅を出たときの最初の感想は、、、寒い、であった。が、寒いが、東北地方最大の都市だけあって人が多く活気がある。
うむ、中々きれいに撮れたにゃん。因みに、何故我輩のような猫がデジカメで写真を取れるか、と疑問に思う者もいるかもしれないが、我輩のような猫とてデジカメの操作くらいはできる。そもそもこうして文章を書けるのであるから、デジカメを操作できても何も不思議はないはずである。因みに我輩がどんな格好をしていたかと言えば、こんなふうな格好である。
じゃじゃ~ん。、、、、、、、、。
つまり我輩はこの猫の如く、デジカメを首に掛けて市内を徘徊しているのである。左の写真は仙台市の青葉通りに面したモール街を歩いていて、写真屋の前で見つけた猫の銅像である。やや我々猫族を侮辱した感はあるものの、ちょうど我輩のような出で立ちをしていたので、記念に一枚撮っておいた次第である。
仙台駅前の歩道橋から青葉通りの風景を一枚。夜なので、杜の都仙台が見れなくて残念であるが、かといって今は冬であるから朝に見ても枯れ葉の都仙台である。やはり春や夏に来る方がよい。というか寒い。
因みに、この歩道橋には、我輩のようにここから青葉通りを撮影しようとする観光客が結構いた。写真を撮られる方は、皆こぞって例のピースというやつをしている。また、写真を撮る方も、かなりの確率で「はい、チーズ!」などと言っている。チーズとは食べ物のことであろうが、「はい、チーズ」などといっても別に相手にチーズを手渡す様子もない。写真を撮るだけである。人間はどうか知らぬが、チーズ、チーズとやたらに連発されると腹が減るから止めて頂きたい。
青葉通りの一風景を何気なく撮影してみた。
一応付け加えておくと、写真に写っている自動車は、時速300キロくらいの高速で走っているのではない。ただ、このデジカメが時速40キロくらいの自動車を捕え切れないだけである。
外は寒いし、人ごみの中を歩くのは踏まれそうで嫌だと思っていたら、ちょうど地下の通路があったので入ってみた。
中には美しき噴水があった。
が、近くに浮浪者のものと思われるダンボールもあった。我輩は、我輩の頭に下げたデジカメを浮浪者に奪われないように足早にそこを去った。
青葉通りに面したモール街。我輩は踏まれそうになりながらもシャッターを切った次第である。
とそこに、ペットショップという動物売買をしている店があったので、ちょっと寄ってみた。
店内は、犬族の臭いがぷんぷんする。我が猫族の臭いも少しはする。
左の子犬はすやすや寝ておる。やはり子どもは可愛いのである。
下の写真は子犬の兄弟である。 相手を枕にしたいという気持ちは人間も猫も犬も一緒である。
この光景には驚愕した。余程寒いのか、余程部屋が狭いのか、数匹の子犬が僅か直径50センチ程の空間に高密度で睡眠しておる。
我が猫族の赤ん坊を見つけたのは、店の隅っこであった。
それにしても、ひどい寝方である。普通、我々猫というものは、横になって寝ることはあっても仰向けになって寝るものではない。確かにガラスの箱の中にいれば外敵から襲われる心配がないけれども、あまりに無防備な寝方である。我輩は、この子猫の将来に良くないと思ってガラスを足でこつこつと引っ掻いたが、全く起きる気配は見せなかった。完全にお眠り状態である。
一階の犬猫を一通り見終わると、「二階、高級ペット」と書かれている広告があったので、二階に行ってみた。
名前は何と言うのか忘れたが、こんな豚の顔をちょっと長くしたような、顔の崩れたウサギの耳を少し短くしたような、そんな奇怪な顔面をした犬が高級だというから人間の考える高級の基準というの奇天烈である。が、この坊やは、我輩がカメラを向けると尻尾をふりふりと小気味よく振り回してくれるという、最も愛嬌のある子犬君であった。
この子犬は、鹿のように足が細い。ちゃんと飯を食わせてもらっているのだろうか、、、。我輩がこの子犬の細い足を撮影しようとしたら、突然我輩の方に近付いて来て、ガラスの前に座り込んでこちらをじっと窺っている。「坊やのそのやせ細った足を見せて頂きたい。」とお願いしてみたが、カメラを持った猫を奇特だと思ったのか、まるで聞く耳を持たずずっと座り込んでいる次第である。
最後は、子犬というよりは、小熊と言った方が適当な犬族の子どもを撮った。我輩がカメラを向けたら、ふてぶてしくこちらを睨みつけてきたが、誤ってフラッシュが光ると驚いて後ずさりした。我輩は「申し訳ない」と謝ったが、この子熊犬はすねて隅へ言ってしまった。 因みに目は開いているのか閉じているのか分からぬ(左下)。
二階の犬は、我輩にしてみれば、珍獣ばかりであった。ただ、一階の犬猫がほとんど睡眠状態だったのに対して、二階の犬猫はみな起きていた。まさか、起きているということが高級だという意味ではあるまいな、と思ったくらいである。
最後に、仙台のハト公を一枚。どこにでもいそうではあるが、何となく。
警戒して逃げるので、三度目にしてやっと捉えることができた。
今日は我輩、少々疲れておるので、これをもってまず膝栗毛としたい。何か、仙台の珍獣紹介の如き膝栗毛になってしまった、、、、。少し反省。画像処理の方法が分からず、更新するのに時間がかかってしまったこと、御詫び申し上げたい。 (終)
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2005年12月17日 (土)
追記;連絡
我輩は、今週の土曜と日曜、つまり、今日と明日、東北地方の宮城県仙台市に行くことになった。
従って、我輩は、毎日の日付変更時間に記事の更新せんと欲しているけれども、日曜の記事に限っては、家に帰って来てからの更新になるゆえ、その欲望が適わないであろう。そういうお方がいるかいないかは別として、我輩の記事を毎日読んでくれるお方がいたならば、悪いと思って連絡した次第である。
その代わり、仙台へ赴いたことの旅行記を写真を交えながら掲載する予定であるので、待っておって頂きたい。 (終)
仙台の魚が食いたい、、、、、。
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そういえば、、、
そういえば、まだ我輩の名前を言っていなかったと思う。我輩の名前は、まだない、と言いたいところであるが、我輩には、「ぶち」という名前がある。しかし、こんな名前があっても、我輩は少しも嬉しくないのである。
何故と云うに、名前の画数が少なすぎる。よく名前から人物を想像するということがあるが、こんな画数の少ない名前では、重厚な雰囲気が全く感じられぬ。どうせなら我輩にも、純一郎とか龍之介とかそういう想像しただけで相手を怯ませる様な長くて画数の多い名前を付けてもらいたかった。それに比して、「ぶち」とはあまりに簡易すぎる。この家の父親でさえ、幸太郎という名前が付いておる。太郎は桃太郎とか金太郎とか昔話の主人公のようでやや微妙な抵抗感が残るけれども、少なくとも「ぶち」よりはましである。
大体、「ぶち」というのは、単なるの色の名前であろう。毛の色をもって、我輩の名をつけるとは、どういう了見であろうか? 我輩の人格をどのように理解しているのだろうか? 仮に人間社会において、皮膚の色でもって人間の名を付けたならば、人種差別などと言われて四方八方から非難の矢が飛んでくるであろうに。然るに、我輩のような猫には皮膚の色で命名するのは、猫差別ではないのか? 猫ならば裁判所に訴えないから権利を侵害してもよいとでも思っておられるのであろうか? 無論、我輩としてもこの皮膚による冷遇・差別を裁判所に訴えたいとは思うものの、人間の方で猫はお断りという次第である。もし我輩が法廷に乗り込んでいったならば、裁判官の命令によってすぐさま放り出されるのが落ちである。裁判官もそれでいて法の下の平等なぞと平気な顔をしてのたまうのであるから、喜劇的である。
もし人間が、我輩猫族に対する不当な権利侵害を今後も改善しないならば、我々猫族としても、いづれ人間に天誅を下さねばならぬ日が来るであろう。全国には、我輩のように、人間に天誅を加える必要性を痛感している同志が少なからずいるであろう。従って、もし我輩が全国の同志に呼びかければ、何百万の大軍を結成することも不可能ではない。イナゴ軍の反乱でさえあれほどの脅威になるのであるから、我が猫族の逆襲を食らわば、人間といえども大打撃を被ることは必至である。ただ、今は機が熟さぬゆえ今しがたの辛抱は必要であろう。腹案としては、猫軍を北海道、東北、関東、中部、四国、中国、九州、沖縄から募集し、精鋭部隊を結成し、各地から霞ヶ関の国会議事堂を目指して、突進するというのがよかろうと思う。この歴史上類例のない猫の謀叛が成功し、国会を占領できれば、人間といえども猫の力に怖れをなして、猫に憲法上の保護を認めざるを得ないであろう。(終)
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2005年12月16日 (金)
囲碁をする教師
この家の父親は、囲碁という遊びが好きなようである。よく家の二階の部屋で、パソコンという20世紀末に飛躍的な普及を見せた機械と向かい合い一人楽しそうに囲碁をしている。また、休日などは、同じく囲碁の好きな教師を自宅に招き二人でするときもある。
先週の日曜などは、その囲碁好きな教師と共に囲碁を打っていた。
「いやあ、斎藤さん、私は最近パソコンで囲碁をするのに熱中していましてね。」
と、囲碁を打ちながら、この家の父親が楽しげに言う。
「ほう、そうですか。それは結構ですな。私なんかは、コンピュータと聞いただけで何か面倒臭い感じがしてパソコンも持ってないんですよ。」
と、その教師が言う。因みに、この教師は高校の数学を教えているらしい。美術の教師であるこの家の父親がパソコンという機械を使いこなし、数学という理系科目の教師であるこの斎藤という教師がパソコンを持たないというのは、何か滑稽な感じがする。
「どうです? そのコンピュータでやる相手は強いですか?」
と、その教師が、パチンと碁を打って言う。どうやら少々パソコンの囲碁に興味があるようである。
「うぬ、そうきましたか。」
と、この家の父親。次の一手を考えるのに真剣で、その数学教師の質問に答えないでいる。すると、その数学教師は、
「二宮先生、聞こえましたか? 私の質問。」
と、尋ねる。
「ああ、聞こえたよ。」
と、父親。一生懸命碁盤に睨みをきかせながら、答える。
「で、どうなんですか? 相手は強いですか? 」
と、数学教師。余程興味が湧いたのであろう、必ず聞き出そうという気でいる。
「ん? 相手? ああ、強い、強い、コンピュータには中々勝てませんよ。でも、インターネットで他の人間と打つ時は、そうでもありませんよ。私に勝てる者は中々いません。」
と、面倒臭そうに父親が答える。しかし、私に勝てる者は中々いません、と言った時には顔がにんまりとした。
「へええ、そんなものですか。でもインターネットで他の人間を相手に打てるというのは、面白そうですな。」
と、感心した様子で数学教師が言う。
「あと、チャットというのがありましてね、対戦相手とメッセージをやり取りしながら囲碁を打てるんですよ。相手がいつまでも次の手を打たない場合なんかは、“いつまで考えているんだ、早く打て。”なんて文句を言うんですよ。この前なんかは、私はね、相手がいつまでもいつまでも打たないもんで、“逃げたな。”とこう言ってやりましたよ。」
と、そう言って父親がわははと笑い出す。
「面白そうですなあ。私もやってみましょうかね。」
と、数学教師が言う。そして、すぐに、「インターネットというのは、パソコンを買えばすぐにできるんですか?」と尋ねる。父親は、
「それは、また今度電気屋にでも聞いて下さいよ。今は、囲碁の試合中ですよ。」
と、やや不機嫌そうに言う。どうやら、形勢も良くないようである。首を傾げてはうんうん唸っている。
「こりゃ、失礼しました。」
と、数学教師。この父親の形勢が不利であるということは、論理必然的に、この数学教師の形勢が有利なのであろう。顔にも余裕の表情が浮かんでいる。
すると、この家の母親が「おつまみをどうぞ。」と言って部屋に入ってきて、団子を載せた皿を二人の脇に置いた。我輩は二人が囲碁をしている部屋の隅で寝転んでいたが、団子の甘い匂いがこちらまでぷんぷんと漂ってくる。我輩も紳士であるから、もし我輩がその団子に飛びついたならばこの家の父親にもその客にも失礼だと思い、団子の甘い匂いによだれが出そうになりながらもぐっと腹に力を入れて我慢していた。すると、この家の父親が、
「斎藤さん、団子の皿をこっちに置きましょう、家の猫が飛びつくかもしれませんから。」
と、そう言って団子の皿を我輩のいる方とは反対の方に置いた。
「そうですね、猫はいやしいですからね。その方が安全でしょう。」
と、数学教師も賛同している。
我輩は、この侮辱には我慢ならなかった。我輩とて、せっかくの父親の来客に失礼のないように、飛びつきたいのをぐっと忍耐しておったところを、二人揃って我輩を、いや猫一般を侮辱するではないか。我輩は、こう侮辱されてはもはや二人の前で我輩が紳士でいなければならぬ理由もないと思って、にゃにゃにゃっと部屋の隅から碁盤の陰に隠れた団子目掛けて、勢いよく発進した。そして、碁盤の上にえいっと飛び乗り、並んでいた碁石を前足と後ろ足の双方を持ってしてぐちゃぐちゃと掻き回してから、団子の皿の下へ素早く着地し団子を頂戴して戸外へ逃れた。
二人は、ああ、と悔しがっておる。しかし、大の大人が小さな石ころを並べて、おれの陣地だお前の陣地だと言って競い合っているところなど、我輩が目茶目茶にしてやらぬでも、そのうち次女でも三男でも他の誰かが来てそうしたであろう。 (終)
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2005年12月14日 (水)
米国猫、あっぱれ!
今日は一つ、我が猫族の新たな偉業について少し述べてみたい。
この前、米国の猫が米国から仏国へと渡ったという事件があった。人間の船に乗って仏国へ行き、そして帰りはビジネスクラスという人間の中でも金持ちが座る席に座って米国に帰国したらしい。
この快挙は、我が猫新聞各社でも大々的に報じられ、「米国猫のフロンティア精神、健在!」とか、「エコノミークラスに大勢の人間が座る中、堂々とビジネスクラスで帰還!」とか、「猫界にもリンドバーグ、現る!」などの賞賛の記事が世の中に出回った。
にもかかわらず、当の米国猫は、自分の快挙に喜ぶどころか、悔しがっているという。或る猫雑誌のインタビューで、かの米国猫は、このように語っていた。
「米国から仏国へ行く途中、我輩の心は、新大陸に向かうような嬉しさでいっぱいであった。人間の新聞は、我輩が船に迷い込んだと報じているが、我輩はそんな迷い込むなどという愚かな失態は犯さない猫である。我輩は、船に忍び込んだのである。何故というに、世界旅行というアバンチュールを味わいたかっためである。米国は広しといえども、我輩の冒険心を十分に満たすには、米国は狭すぎた。最初は、飛行機に忍び込もうと思ったのであるが、やはり飛行機は人間のチェックが厳しいゆえ、まずは船にした。無論、我輩の俊敏な足をもってすれば、まるでラグビー選手が敵を次々と交わすかの如く税関でも監視でも潜り抜けられようが、安全を期して船にしたのである。船旅は予想以上に困難なものであった。船酔いにも悩まされたが、人間に見つからぬようにコンテナの中にじっと潜伏していなければならなかったのが、精神的にも肉体的にも最も苦痛であった。そうこうして、三週間がたち、やっと仏国という国に着いた矢先、仏人に発見されてしまった次第である。本来ならば、仏国を初めとして、伊太利亜、独逸、西班牙、等の欧州をぐるりと回ってから、露西亜にでも行ってみようかと思っていたところ、仏人に捕獲されてしまった。残念無念、我輩の船の中での忍耐は何だったのであろう。」
と、こんな具合である。
因みに、この米国猫はインタビューの後、記者にこっそりと「次は上手くやるつもりだ。」と呟いたらしい。
この米国猫は、不屈の冒険心を持った勇敢な猫である、と我輩は賞賛の声を惜しまぬであろう。仮にこの米国猫が人間に生まれていたとしたならば、コロンブスやマゼラン等にも決して劣らない、偉大な探検家となっていたに違いない。恐らくNASAの宇宙船にでも侵入し勝手に操縦して、異星人の住む惑星にでも辿り着き、人類の歴史に新たな1ペイジを刻んだであろうと思われる。 (終)
| 会社四季報CD-ROM 2006年 1集新春号 販売元:東洋経済新報社 |
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2005年12月13日 (火)
三男坊の日記、、1リットルの涙
高校生の三男坊の日記にはこんなことが書かれていた。
“今日テレビで、1リットルの涙を見た。亜也が可哀想だった。自由に動かすことのできない体を一生懸命に動かそうとする亜也を見ていると、本当に、涙が出てきた。僕の体は何不自由のない体だ。手も足もちゃんと動く。亜也は、そういうことすらできない。一人でトイレに行くことも電話のボタンを押すことも。亜也は、僕に、体が満足に動くことだけでも幸せなんだということを教えてくれた! 亜也の苦しみに比べて、自分の不満のどれほどいい気なものか! どうでもいいことに不平を言っている自分が恥ずかしくなった。幸せって何なんだろう? 体が自由に動くというそれだけでも本当はとても幸せなんじゃないか? みんなそれに気付かないだけで、幸せはすぐそこにあるんじゃないか? そう思ったら、急に気持ちが明るくなった。亜也が気付かせてくれたんだ! ”
と、こんな具合であった。我輩も、実は三男坊と一緒になってそのドラマを見ていた次第であるから、この家の三男坊の日記には頗る心を動かされてしまった、、、。 (終)
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天使のくれた時間 デラックス版 販売元:ジェネオン エンタテインメント |
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1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記 著者:木藤 亜也 |
| 1リットルの涙 販売元:東映 |
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小泉純一郎首相の顔、、、
夜、テレビを見ていたこの家の母親が、小泉純一郎という今の内閣総理大臣の映像が出るや否や、
「いつまで自衛隊はイラクにいるわけ? 期限を延長してずっといるつもりなわけ?」
と、文句を言う。すると、この家の父親は、
「いや、小泉は悪くない。小泉みたいな政治家は中々いない。」
と、首相を必死で擁護する。すると、中学生の次女が父親に向かって
「お父さんは、自分が小泉首相に顔が似てるって学校で生徒に言われてるから、小泉首相が批判されると自分が批判されたような気持ちになるんだ。」
と、言ってげらげらと笑う。そういえば、以前この父親は、「俺は生徒に小泉、小泉って呼ばれているんだ。」と誇らしげな面持ちで語っていたことがある。とすれば、案外、次女の言っていることも当たっているかもしれぬ。
「違う、違う、自衛隊はイラクに行くしかなかったんだ。」と、父親が弁明する。しかし、声が上擦っていて、顔もにわかに赤くなっている。
「お父さん、何、動揺してるの。」
と、長女が肉まんをもぐもぐと食べながら横から言う。母親も「そうだ、そうだ。」と言って上機嫌になっている。父親は、威厳を保とうとして台所のテーブルにどしりと腰を据えたものの、みなにげらげらと笑われて肩身の狭い様子でいる。
我輩の思うに、確かにこの家の父親と小泉首相の顔はどことなく似ているような気がする。しかし、どこが似ているのかと問われれば、説明に窮してしまう。何となく髪型と顔の作りが似ていると答えるのが精一杯である。しかし、何となく似ているというのでは、我輩としてもどこかすっきりしない心持がするので、一度詳細に二人の顔面の異同を比較してみようと思う。
首相の方は、周知の如く、ふさふさとした白髪がトレイドマークでもあり、我輩から見ても人間には勿体無いほどの良い毛並みをしておる。無論、美しき鮮やかな茶色でもって装飾された我輩の毛と比べれば到底及ばないということは日が東から昇るのと同じくらい当り前の話であるが、やはり一国の首相というに恥ずかしくない毛並みである。さしずめ、人間界のライオンといったところであろうか。我が猫族といえども、そこら辺のごろつきの猫では太刀打ちできぬであろう。
一方、この家の父親の方は、床屋へあんまり行かぬせいで髪がもさもさしておる。そして、そのもさもさとした髪の毛が元来の天然パアマと悲しく相俟って、首相の髪型の如き様相を呈するに至っている。つまり、両者の髪型の成立過程は全く異なるけれども、何の因果か結果的に類似しているという具合である。ただ、首相が白髪なのに対し、この家の父親はまだ黒髪の勢力が少々勝っているようである。
目は全く似ていない。これは、我輩がそう断定しても誰も異論は持たぬであろう。何故というに、首相の目はやや細いのに対して、この父親の目は出目金だからである。
しかし、目元から頬っぺたにかけての平面が似ているということに気付いた。従って、もし首相とこの家の父親の目を同時に閉じさせてその辺の畳の上にでも並べて敷いてみれば、もう少し判然とした形で両者の顔面の類似が確認できるはずである。
あとのパーツの比較はどうでもよいであろう。耳や鼻、口などを比較しても、余程どちらかが著しい特徴を有していない限り、あまり比較の意味もないからである。
かくの如く、我輩は二人の顔面の異同比較を試みたが、結論としては、髪型と目元から頬っぺたにかけての平面が似ているということになる。目は似ていないのに全体的な風貌が似ているのであるから、裏から言えば、余程髪型とその平面が似ているということでもある。
我輩は今の考察の妥当性を確認しようと思って父親の座っていた方に目をやったが、父親はいつの間にかいなくなっていた。また、二階へ行ってピカソのようでピカソでない絵でも書いているのであろう、、、。 (終)
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2005年12月12日 (月)
我輩の苦悩
我輩は、今日、ふと思った。
我輩のような無名の猫文士が、猫界の頂点に立つ苦沙弥先生様の所の猫殿を真似て人間を観察した文章を書くということは、恐れ多きことではないか、と。
というのも、猫として最初に人間を観察するという大胆な思索を試みたのが、苦沙弥先生様の所の猫殿であるが、それ以降、氏を真似た文章が猫出版界に充溢し、それに嫌気のさした猫大臣が異例の記者会見を開いたことがあった。
その時、猫大臣は、
「我が猫文学界の発展にとって、みなが文章を書くようになるのは良いことである。しかし、みながみな苦沙弥先生様の所の猫殿の『吾輩は猫である』を真似た結果、現在の猫出版界は、同じような書籍で溢れており、まるで金太郎飴の如き状態である。こうした状況を是正するためには、今後、猫立法によってある程度の文章規制を行う必要も出てくるやも知れぬ。」
と、語った。
無論、この猫大臣の意見に対しては、猫新聞等で「猫大臣、表現の自由の侵害か!?」とか「猫大臣の罷免を求む!」とか「言論統制反対!」等の激しい批判が寄せられた。
然れども、猫文士の多くは、猫記者らのように権力に反発するどころか、猫政府の言論統制に恐れをなして、文章を書くのを止めてしまった次第である。
そんな中、我輩は、無名ながら猫政府の圧力にも屈せず、ペンを握って日々かの家族の日常を描写しておるわけであるが、ふと、自分のしていることに不安を覚える時もある。また、時として、「お主はまだあの文章を書いているのかい?」などと近所の猫に皮肉を込めて尋ねられることもある。また、ある時は、「君は自分を苦沙弥先生様の所の猫殿だと思っているのかい?」などと厭味たっぷりの小言を言われることもある。
しかし、やはり、我輩はこうして文章を書くのを止めないであろう。というのも、もし我輩も止めてしまったら、表現の自由の最後の砦がガラガラと崩れてしまうであろう。それに、もし我輩が最後まで表現の自由を死守するならば、苦沙弥先生様の所の猫殿も我輩の模倣を許してくれるであろうと思う。 (終)
|
表現の自由が呼吸していた時代―1970年代読売新聞の論説 著者:前澤 猛 |
| ポルノグラフィ―「平等権」と「表現の自由」の間で 著者:キャサリン・A. マッキノン |
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我輩の愛読書
我輩がこうして文章を書くようになった原因は、『吾輩は猫である』を書かれた明治の猫文豪、、、苦沙弥家の猫公の多大な影響の下にある。
この著書は、我が猫族が人間よりも優越的種族であることの生理学的社会学的文学的証明である、というのが現在の猫文学界の通説的見解である。
従って、全国の我が猫族を始め、人間、ゴリラ、猿、蛇、鼠、鳥、犬、等、生物種性別を問わず、広く読まれることを期待して、以下に本書を推薦する次第である。なお、注文先は、インターネット書店として先駆的地位を占めるアマゾン書店(amazon.com)である。
| 吾輩は猫である 著者:夏目 漱石 |
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吾輩は猫である 著者:夏目 漱石 |
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2005年12月11日 (日)
長男と次男の会話
今日は、非常に寒かった。我が猫族は、寒い時は戸外へ出ない。有史以来、ずっとそうである。猫はコタツで云々かんぬんという歌もあるが、これは猫の特徴を最もよく表したものである。
そういうことであるから、我輩も今日はずっと家にいた。すると、大学卒業後もふらふらしている長男と大学生の次男が、話をしていた。
「親戚の奴らは定職に就かない俺を白い目で見ているけどな、俺は別に何とも思っちゃいない。でも俺の人生に口出しして欲しくはないね。」
と、長男。今日の寒い天気の如く、どこか沈んだ様子である。いつもと違ってにやにやしていない。すると次男は、
「これからどうするんだい、兄さんは。」
と言う。
「俺はお前のそういうところが好きだぜ。つまりだな、お前は他の奴らと違って、俺のことを白い目で見ていない。それが俺はうれしんだよ。お前は、物事をよく知っているから、俺の今の気持ちもよく察しているだろうし、これから俺がどんな人生を送っていくのかも大体知っているんだろう?」
と、長男。
「僕は、兄さんのことは尊敬していますよ。兄さんは兄さんなりの人生を送っていくはずですよ。」
と、次男が言う。
「俺なりの人生か、、、。そう簡単に言うが、じゃあお前は俺の人生についてどう思っているんだ? 俺はどんなふうに生きていくと思っているんだ?」
と、長男が尋ねる。
「さあ、それは僕に聞く前に兄さんがもう大体知っていることなんじゃないですか? ただ、あまり長生きはしないでしょう、兄さんは。」
と次男。すると、長男はわははと笑い出した。そして、次男に向かって
「そうだな。実は俺も長生きはしそうにないと思ってたところだ。」
と、言う。そして、次男に「お前はどうなんだ? 長生きしそうか?」と聞く。
「僕は、兄さんよりも長生きしそうにないですね。」
と、次男。冷やかな笑みが口元に浮かんでいる。長男は、さらに大きな声を上げて笑い出す。この兄弟は長生きしないことがそんなにうれしいのであろうか、と我輩は奇怪に思ったが、我輩も人間に生まれていたならば、長生きしたいとも思わなかったやも知れぬとも感じて妙に納得する部分もあった。
「兄さんも僕も、あれですよ、例の崇高的かつ美的なるもの、、、それに対する憧れが強すぎるんです。そうした欲求は、人間を疲労させて、いつしか魂を吸い取ってしまうんですよ。」
と、次男がまた口を開く。
「あまりピンと来ないが、そういうことにしておこう。」
と、長男。そして、「お前と話すと何だか腹が減る。」と言って、机の引き出しからドーナツを取り出してむしゃむしゃと食い始める。我輩も同様に空腹を覚えていたため、長男のドーナツ目掛けてにゃにゃっと飛び跳ねた。案の定、長男坊は我輩の不意打ちに驚愕して、ドーナツを落とした。
「この野郎、何をするか、、、。」
と、長男が悔しがる。しかし、我輩も少々油断していた。我輩が略奪したドーナツを頂戴していると、長男の拳骨を不意に食らったのである。食うのに夢中で背後の長男の存在を完全に忘却していた。我輩は、むぎゃと我ながら恥ずかしい悲鳴を上げてドーナツを落としてしまったけれども、すぐさま拾い上げ、これ以上の反撃を食らわぬためにもドーナツを加えて遁走した。
ただ、弁明しておくが、これは逃げたわけではない。ドーナツを食いながら闘うことは、戦略上合理的でないから、一時的な撤退をしたまでである。それに又そのうち顔を合わせるであろうから、その時に決着しても良いであろう。
しかし、その後、また長男と顔を合わせたけれども、長男は我輩に恐れをなしたのか、ドーナツを奪われた屈辱をもう忘れてしまったのか知らぬが、何も反撃を加えてこなかった。とりあえず落着である。 (終)
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2005年12月 9日 (金)
『野ブタ。をプロデュース』を拝見して、、、
最近、若者の間で、『野ブタ。をプロデュース』という本が話題となっているようである。この家の中学生の次女も最近その本を購入したようで、学校から帰って来るなりソファに座って夢中になって読んでいる。
「史折、何読んでるんだ?」
と、家に帰ってきた父親が言う。次女の読書があまりに珍しかったようである。
「ん? 『野ブタ。をプロデュース』って言う本。超、面白いんだ。」
と、次女が答える。
「漫画か?」
と、父親が尋ねる。尋ねておきながら、近付いて来て首をぬうっと伸ばして覗き込む。
「何だ、活字じゃないか。偉いぞ、史折。」
と、父親が感心する。
「この本は、芥川賞候補にもなったんだよ。」
と次女。父親は、
「おお、そんな本読んでいるのか、史折は。大人になったな。」
と、言っていよいよ感心している様子である。
我輩は、次女の読んでいる『野ブタ。をプロデュース』なる本に少々興味を覚えたので、側に寄って盗み見ようと思った。以前、次女がテレビを見ている時に接近した時は、邪魔者扱いにされたゆえ、今度は慎重に忍び寄り、30㎝程離れた場所から覗き込んだ。やや横からは文字が見えにくかったけれども、次女のページをめくる回転数がスローペー
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