2005年12月17日 (土)

追記;連絡

 我輩は、今週の土曜と日曜、つまり、今日と明日、東北地方の宮城県仙台市に行くことになった。

 従って、我輩は、毎日の日付変更時間に記事の更新せんと欲しているけれども、日曜の記事に限っては、家に帰って来てからの更新になるゆえ、その欲望が適わないであろう。そういうお方がいるかいないかは別として、我輩の記事を毎日読んでくれるお方がいたならば、悪いと思って連絡した次第である。

 その代わり、仙台へ赴いたことの旅行記を写真を交えながら掲載する予定であるので、待っておって頂きたい。     (終)

 仙台の魚が食いたい、、、、、。   

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そういえば、、、

 そういえば、まだ我輩の名前を言っていなかったと思う。我輩の名前は、まだない、と言いたいところであるが、我輩には、「ぶち」という名前がある。しかし、こんな名前があっても、我輩は少しも嬉しくないのである。

 何故と云うに、名前の画数が少なすぎる。よく名前から人物を想像するということがあるが、こんな画数の少ない名前では、重厚な雰囲気が全く感じられぬ。どうせなら我輩にも、純一郎とか龍之介とかそういう想像しただけで相手を怯ませる様な長くて画数の多い名前を付けてもらいたかった。それに比して、「ぶち」とはあまりに簡易すぎる。この家の父親でさえ、幸太郎という名前が付いておる。太郎は桃太郎とか金太郎とか昔話の主人公のようでやや微妙な抵抗感が残るけれども、少なくとも「ぶち」よりはましである。

 大体、「ぶち」というのは、単なるの色の名前であろう。毛の色をもって、我輩の名をつけるとは、どういう了見であろうか? 我輩の人格をどのように理解しているのだろうか? 仮に人間社会において、皮膚の色でもって人間の名を付けたならば、人種差別などと言われて四方八方から非難の矢が飛んでくるであろうに。然るに、我輩のような猫には皮膚の色で命名するのは、猫差別ではないのか? 猫ならば裁判所に訴えないから権利を侵害してもよいとでも思っておられるのであろうか? 無論、我輩としてもこの皮膚による冷遇・差別を裁判所に訴えたいとは思うものの、人間の方で猫はお断りという次第である。もし我輩が法廷に乗り込んでいったならば、裁判官の命令によってすぐさま放り出されるのが落ちである。裁判官もそれでいて法の下の平等なぞと平気な顔をしてのたまうのであるから、喜劇的である。

 もし人間が、我輩猫族に対する不当な権利侵害を今後も改善しないならば、我々猫族としても、いづれ人間に天誅を下さねばならぬ日が来るであろう。全国には、我輩のように、人間に天誅を加える必要性を痛感している同志が少なからずいるであろう。従って、もし我輩が全国の同志に呼びかければ、何百万の大軍を結成することも不可能ではない。イナゴ軍の反乱でさえあれほどの脅威になるのであるから、我が猫族の逆襲を食らわば、人間といえども大打撃を被ることは必至である。ただ、今は機が熟さぬゆえ今しがたの辛抱は必要であろう。腹案としては、猫軍を北海道、東北、関東、中部、四国、中国、九州、沖縄から募集し、精鋭部隊を結成し、各地から霞ヶ関の国会議事堂を目指して、突進するというのがよかろうと思う。この歴史上類例のない猫の謀叛が成功し、国会を占領できれば、人間といえども猫の力に怖れをなして、猫に憲法上の保護を認めざるを得ないであろう。(終)

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2005年12月16日 (金)

囲碁をする教師

 この家の父親は、囲碁という遊びが好きなようである。よく家の二階の部屋で、パソコンという20世紀末に飛躍的な普及を見せた機械と向かい合い一人楽しそうに囲碁をしている。また、休日などは、同じく囲碁の好きな教師を自宅に招き二人でするときもある。

 先週の日曜などは、その囲碁好きな教師と共に囲碁を打っていた。

 「いやあ、斎藤さん、私は最近パソコンで囲碁をするのに熱中していましてね。」

 と、囲碁を打ちながら、この家の父親が楽しげに言う。

 「ほう、そうですか。それは結構ですな。私なんかは、コンピュータと聞いただけで何か面倒臭い感じがしてパソコンも持ってないんですよ。」

 と、その教師が言う。因みに、この教師は高校の数学を教えているらしい。美術の教師であるこの家の父親がパソコンという機械を使いこなし、数学という理系科目の教師であるこの斎藤という教師がパソコンを持たないというのは、何か滑稽な感じがする。

 「どうです? そのコンピュータでやる相手は強いですか?」

 と、その教師が、パチンと碁を打って言う。どうやら少々パソコンの囲碁に興味があるようである。

 「うぬ、そうきましたか。」

 と、この家の父親。次の一手を考えるのに真剣で、その数学教師の質問に答えないでいる。すると、その数学教師は、

 「二宮先生、聞こえましたか? 私の質問。」

 と、尋ねる。

 「ああ、聞こえたよ。」

 と、父親。一生懸命碁盤に睨みをきかせながら、答える。

 「で、どうなんですか? 相手は強いですか? 」

 と、数学教師。余程興味が湧いたのであろう、必ず聞き出そうという気でいる。

 「ん? 相手? ああ、強い、強い、コンピュータには中々勝てませんよ。でも、インターネットで他の人間と打つ時は、そうでもありませんよ。私に勝てる者は中々いません。」

 と、面倒臭そうに父親が答える。しかし、私に勝てる者は中々いません、と言った時には顔がにんまりとした。

 「へええ、そんなものですか。でもインターネットで他の人間を相手に打てるというのは、面白そうですな。」

 と、感心した様子で数学教師が言う。

 「あと、チャットというのがありましてね、対戦相手とメッセージをやり取りしながら囲碁を打てるんですよ。相手がいつまでも次の手を打たない場合なんかは、“いつまで考えているんだ、早く打て。”なんて文句を言うんですよ。この前なんかは、私はね、相手がいつまでもいつまでも打たないもんで、“逃げたな。”とこう言ってやりましたよ。」

 と、そう言って父親がわははと笑い出す。

 「面白そうですなあ。私もやってみましょうかね。」

 と、数学教師が言う。そして、すぐに、「インターネットというのは、パソコンを買えばすぐにできるんですか?」と尋ねる。父親は、

 「それは、また今度電気屋にでも聞いて下さいよ。今は、囲碁の試合中ですよ。」

 と、やや不機嫌そうに言う。どうやら、形勢も良くないようである。首を傾げてはうんうん唸っている。

 「こりゃ、失礼しました。」

 と、数学教師。この父親の形勢が不利であるということは、論理必然的に、この数学教師の形勢が有利なのであろう。顔にも余裕の表情が浮かんでいる。

 すると、この家の母親が「おつまみをどうぞ。」と言って部屋に入ってきて、団子を載せた皿を二人の脇に置いた。我輩は二人が囲碁をしている部屋の隅で寝転んでいたが、団子の甘い匂いがこちらまでぷんぷんと漂ってくる。我輩も紳士であるから、もし我輩がその団子に飛びついたならばこの家の父親にもその客にも失礼だと思い、団子の甘い匂いによだれが出そうになりながらもぐっと腹に力を入れて我慢していた。すると、この家の父親が、

 「斎藤さん、団子の皿をこっちに置きましょう、家の猫が飛びつくかもしれませんから。」

 と、そう言って団子の皿を我輩のいる方とは反対の方に置いた。

 「そうですね、猫はいやしいですからね。その方が安全でしょう。」

 と、数学教師も賛同している。

 我輩は、この侮辱には我慢ならなかった。我輩とて、せっかくの父親の来客に失礼のないように、飛びつきたいのをぐっと忍耐しておったところを、二人揃って我輩を、いや猫一般を侮辱するではないか。我輩は、こう侮辱されてはもはや二人の前で我輩が紳士でいなければならぬ理由もないと思って、にゃにゃにゃっと部屋の隅から碁盤の陰に隠れた団子目掛けて、勢いよく発進した。そして、碁盤の上にえいっと飛び乗り、並んでいた碁石を前足と後ろ足の双方を持ってしてぐちゃぐちゃと掻き回してから、団子の皿の下へ素早く着地し団子を頂戴して戸外へ逃れた。

 二人は、ああ、と悔しがっておる。しかし、大の大人が小さな石ころを並べて、おれの陣地だお前の陣地だと言って競い合っているところなど、我輩が目茶目茶にしてやらぬでも、そのうち次女でも三男でも他の誰かが来てそうしたであろう。   (終)

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2005年12月14日 (水)

米国猫、あっぱれ!

 今日は一つ、我が猫族の新たな偉業について少し述べてみたい。

 この前、米国の猫が米国から仏国へと渡ったという事件があった。人間の船に乗って仏国へ行き、そして帰りはビジネスクラスという人間の中でも金持ちが座る席に座って米国に帰国したらしい。

 この快挙は、我が猫新聞各社でも大々的に報じられ、「米国猫のフロンティア精神、健在!」とか、「エコノミークラスに大勢の人間が座る中、堂々とビジネスクラスで帰還!」とか、「猫界にもリンドバーグ、現る!」などの賞賛の記事が世の中に出回った。

 にもかかわらず、当の米国猫は、自分の快挙に喜ぶどころか、悔しがっているという。或る猫雑誌のインタビューで、かの米国猫は、このように語っていた。

 「米国から仏国へ行く途中、我輩の心は、新大陸に向かうような嬉しさでいっぱいであった。人間の新聞は、我輩が船に迷い込んだと報じているが、我輩はそんな迷い込むなどという愚かな失態は犯さない猫である。我輩は、船に忍び込んだのである。何故というに、世界旅行というアバンチュールを味わいたかっためである。米国は広しといえども、我輩の冒険心を十分に満たすには、米国は狭すぎた。最初は、飛行機に忍び込もうと思ったのであるが、やはり飛行機は人間のチェックが厳しいゆえ、まずは船にした。無論、我輩の俊敏な足をもってすれば、まるでラグビー選手が敵を次々と交わすかの如く税関でも監視でも潜り抜けられようが、安全を期して船にしたのである。船旅は予想以上に困難なものであった。船酔いにも悩まされたが、人間に見つからぬようにコンテナの中にじっと潜伏していなければならなかったのが、精神的にも肉体的にも最も苦痛であった。そうこうして、三週間がたち、やっと仏国という国に着いた矢先、仏人に発見されてしまった次第である。本来ならば、仏国を初めとして、伊太利亜、独逸、西班牙、等の欧州をぐるりと回ってから、露西亜にでも行ってみようかと思っていたところ、仏人に捕獲されてしまった。残念無念、我輩の船の中での忍耐は何だったのであろう。」

 と、こんな具合である。

 因みに、この米国猫はインタビューの後、記者にこっそりと「次は上手くやるつもりだ。」と呟いたらしい。

 この米国猫は、不屈の冒険心を持った勇敢な猫である、と我輩は賞賛の声を惜しまぬであろう。仮にこの米国猫が人間に生まれていたとしたならば、コロンブスやマゼラン等にも決して劣らない、偉大な探検家となっていたに違いない。恐らくNASAの宇宙船にでも侵入し勝手に操縦して、異星人の住む惑星にでも辿り着き、人類の歴史に新たな1ペイジを刻んだであろうと思われる。   (終)

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2005年12月13日 (火)

三男坊の日記、、1リットルの涙

 高校生の三男坊の日記にはこんなことが書かれていた。

 

 “今日テレビで、1リットルの涙を見た。亜也が可哀想だった。自由に動かすことのできない体を一生懸命に動かそうとする亜也を見ていると、本当に、涙が出てきた。僕の体は何不自由のない体だ。手も足もちゃんと動く。亜也は、そういうことすらできない。一人でトイレに行くことも電話のボタンを押すことも。亜也は、僕に、体が満足に動くことだけでも幸せなんだということを教えてくれた! 亜也の苦しみに比べて、自分の不満のどれほどいい気なものか! どうでもいいことに不平を言っている自分が恥ずかしくなった。幸せって何なんだろう? 体が自由に動くというそれだけでも本当はとても幸せなんじゃないか? みんなそれに気付かないだけで、幸せはすぐそこにあるんじゃないか? そう思ったら、急に気持ちが明るくなった。亜也が気付かせてくれたんだ! ”

 

 と、こんな具合であった。我輩も、実は三男坊と一緒になってそのドラマを見ていた次第であるから、この家の三男坊の日記には頗る心を動かされてしまった、、、。   (終)

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小泉純一郎首相の顔、、、

 夜、テレビを見ていたこの家の母親が、小泉純一郎という今の内閣総理大臣の映像が出るや否や、

 「いつまで自衛隊はイラクにいるわけ? 期限を延長してずっといるつもりなわけ?」

 と、文句を言う。すると、この家の父親は、

 「いや、小泉は悪くない。小泉みたいな政治家は中々いない。」

 と、首相を必死で擁護する。すると、中学生の次女が父親に向かって

 「お父さんは、自分が小泉首相に顔が似てるって学校で生徒に言われてるから、小泉首相が批判されると自分が批判されたような気持ちになるんだ。」

 と、言ってげらげらと笑う。そういえば、以前この父親は、「俺は生徒に小泉、小泉って呼ばれているんだ。」と誇らしげな面持ちで語っていたことがある。とすれば、案外、次女の言っていることも当たっているかもしれぬ。

 「違う、違う、自衛隊はイラクに行くしかなかったんだ。」と、父親が弁明する。しかし、声が上擦っていて、顔もにわかに赤くなっている

 「お父さん、何、動揺してるの。」

 と、長女が肉まんをもぐもぐと食べながら横から言う。母親も「そうだ、そうだ。」と言って上機嫌になっている。父親は、威厳を保とうとして台所のテーブルにどしりと腰を据えたものの、みなにげらげらと笑われて肩身の狭い様子でいる。

 我輩の思うに、確かにこの家の父親と小泉首相の顔はどことなく似ているような気がする。しかし、どこが似ているのかと問われれば、説明に窮してしまう。何となく髪型と顔の作りが似ていると答えるのが精一杯である。しかし、何となく似ているというのでは、我輩としてもどこかすっきりしない心持がするので、一度詳細に二人の顔面の異同を比較してみようと思う。

 首相の方は、周知の如く、ふさふさとした白髪がトレイドマークでもあり、我輩から見ても人間には勿体無いほどの良い毛並みをしておる。無論、美しき鮮やかな茶色でもって装飾された我輩の毛と比べれば到底及ばないということは日が東から昇るのと同じくらい当り前の話であるが、やはり一国の首相というに恥ずかしくない毛並みである。さしずめ、人間界のライオンといったところであろうか。我が猫族といえども、そこら辺のごろつきの猫では太刀打ちできぬであろう。

 一方、この家の父親の方は、床屋へあんまり行かぬせいで髪がもさもさしておる。そして、そのもさもさとした髪の毛が元来の天然パアマと悲しく相俟って、首相の髪型の如き様相を呈するに至っている。つまり、両者の髪型の成立過程は全く異なるけれども、何の因果か結果的に類似しているという具合である。ただ、首相が白髪なのに対し、この家の父親はまだ黒髪の勢力が少々勝っているようである。

 目は全く似ていない。これは、我輩がそう断定しても誰も異論は持たぬであろう。何故というに、首相の目はやや細いのに対して、この父親の目は出目金だからである。

 しかし、目元から頬っぺたにかけての平面が似ているということに気付いた。従って、もし首相とこの家の父親の目を同時に閉じさせてその辺の畳の上にでも並べて敷いてみれば、もう少し判然とした形で両者の顔面の類似が確認できるはずである。

 あとのパーツの比較はどうでもよいであろう。耳や鼻、口などを比較しても、余程どちらかが著しい特徴を有していない限り、あまり比較の意味もないからである。

 かくの如く、我輩は二人の顔面の異同比較を試みたが、結論としては、髪型と目元から頬っぺたにかけての平面が似ているということになる。目は似ていないのに全体的な風貌が似ているのであるから、裏から言えば、余程髪型とその平面が似ているということでもある。

 我輩は今の考察の妥当性を確認しようと思って父親の座っていた方に目をやったが、父親はいつの間にかいなくなっていた。また、二階へ行ってピカソのようでピカソでない絵でも書いているのであろう、、、。    (終) 

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2005年12月12日 (月)

我輩の苦悩

 我輩は、今日、ふと思った。

 我輩のような無名の猫文士が、猫界の頂点に立つ苦沙弥先生様の所の猫殿を真似て人間を観察した文章を書くということは、恐れ多きことではないか、と。

 というのも、猫として最初に人間を観察するという大胆な思索を試みたのが、苦沙弥先生様の所の猫殿であるが、それ以降、氏を真似た文章が猫出版界に充溢し、それに嫌気のさした猫大臣が異例の記者会見を開いたことがあった。

 その時、猫大臣は、

 「我が猫文学界の発展にとって、みなが文章を書くようになるのは良いことである。しかし、みながみな苦沙弥先生様の所の猫殿の『吾輩は猫である』を真似た結果、現在の猫出版界は、同じような書籍で溢れており、まるで金太郎飴の如き状態である。こうした状況を是正するためには、今後、猫立法によってある程度の文章規制を行う必要も出てくるやも知れぬ。」

 と、語った。

 無論、この猫大臣の意見に対しては、猫新聞等で「猫大臣、表現の自由の侵害か!?」とか「猫大臣の罷免を求む!」とか「言論統制反対!」等の激しい批判が寄せられた。

 然れども、猫文士の多くは、猫記者らのように権力に反発するどころか、猫政府の言論統制に恐れをなして、文章を書くのを止めてしまった次第である。

 そんな中、我輩は、無名ながら猫政府の圧力にも屈せず、ペンを握って日々かの家族の日常を描写しておるわけであるが、ふと、自分のしていることに不安を覚える時もある。また、時として、「お主はまだあの文章を書いているのかい?」などと近所の猫に皮肉を込めて尋ねられることもある。また、ある時は、「君は自分を苦沙弥先生様の所の猫殿だと思っているのかい?」などと厭味たっぷりの小言を言われることもある。

 しかし、やはり、我輩はこうして文章を書くのを止めないであろう。というのも、もし我輩も止めてしまったら、表現の自由の最後の砦がガラガラと崩れてしまうであろう。それに、もし我輩が最後まで表現の自由を死守するならば、苦沙弥先生様の所の猫殿も我輩の模倣を許してくれるであろうと思う。   (終)

表現の自由が呼吸していた時代―1970年代読売新聞の論説 Book 表現の自由が呼吸していた時代―1970年代読売新聞の論説

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ポルノグラフィ―「平等権」と「表現の自由」の間で Book ポルノグラフィ―「平等権」と「表現の自由」の間で

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2005年12月11日 (日)

長男と次男の会話

 今日は、非常に寒かった。我が猫族は、寒い時は戸外へ出ない。有史以来、ずっとそうである。猫はコタツで云々かんぬんという歌もあるが、これは猫の特徴を最もよく表したものである。

 そういうことであるから、我輩も今日はずっと家にいた。すると、大学卒業後もふらふらしている長男と大学生の次男が、話をしていた。

 「親戚の奴らは定職に就かない俺を白い目で見ているけどな、俺は別に何とも思っちゃいない。でも俺の人生に口出しして欲しくはないね。」

 と、長男。今日の寒い天気の如く、どこか沈んだ様子である。いつもと違ってにやにやしていない。すると次男は、

 「これからどうするんだい、兄さんは。」

 と言う。

 「俺はお前のそういうところが好きだぜ。つまりだな、お前は他の奴らと違って、俺のことを白い目で見ていない。それが俺はうれしんだよ。お前は、物事をよく知っているから、俺の今の気持ちもよく察しているだろうし、これから俺がどんな人生を送っていくのかも大体知っているんだろう?」

 と、長男。

 「僕は、兄さんのことは尊敬していますよ。兄さんは兄さんなりの人生を送っていくはずですよ。」

 と、次男が言う。

 「俺なりの人生か、、、。そう簡単に言うが、じゃあお前は俺の人生についてどう思っているんだ? 俺はどんなふうに生きていくと思っているんだ?」

 と、長男が尋ねる。

 「さあ、それは僕に聞く前に兄さんがもう大体知っていることなんじゃないですか? ただ、あまり長生きはしないでしょう、兄さんは。」

 と次男。すると、長男はわははと笑い出した。そして、次男に向かって

 「そうだな。実は俺も長生きはしそうにないと思ってたところだ。」

 と、言う。そして、次男に「お前はどうなんだ? 長生きしそうか?」と聞く。

 「僕は、兄さんよりも長生きしそうにないですね。」

 と、次男。冷やかな笑みが口元に浮かんでいる。長男は、さらに大きな声を上げて笑い出す。この兄弟は長生きしないことがそんなにうれしいのであろうか、と我輩は奇怪に思ったが、我輩も人間に生まれていたならば、長生きしたいとも思わなかったやも知れぬとも感じて妙に納得する部分もあった。

 「兄さんも僕も、あれですよ、例の崇高的かつ美的なるもの、、、それに対する憧れが強すぎるんです。そうした欲求は、人間を疲労させて、いつしか魂を吸い取ってしまうんですよ。」

 と、次男がまた口を開く。

「あまりピンと来ないが、そういうことにしておこう。」

 と、長男。そして、「お前と話すと何だか腹が減る。」と言って、机の引き出しからドーナツを取り出してむしゃむしゃと食い始める。我輩も同様に空腹を覚えていたため、長男のドーナツ目掛けてにゃにゃっと飛び跳ねた。案の定、長男坊は我輩の不意打ちに驚愕して、ドーナツを落とした。

 「この野郎、何をするか、、、。」

 と、長男が悔しがる。しかし、我輩も少々油断していた。我輩が略奪したドーナツを頂戴していると、長男の拳骨を不意に食らったのである。食うのに夢中で背後の長男の存在を完全に忘却していた。我輩は、むぎゃと我ながら恥ずかしい悲鳴を上げてドーナツを落としてしまったけれども、すぐさま拾い上げ、これ以上の反撃を食らわぬためにもドーナツを加えて遁走した。

 ただ、弁明しておくが、これは逃げたわけではない。ドーナツを食いながら闘うことは、戦略上合理的でないから、一時的な撤退をしたまでである。それに又そのうち顔を合わせるであろうから、その時に決着しても良いであろう。

 しかし、その後、また長男と顔を合わせたけれども、長男は我輩に恐れをなしたのか、ドーナツを奪われた屈辱をもう忘れてしまったのか知らぬが、何も反撃を加えてこなかった。とりあえず落着である。   (終)

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2005年12月 9日 (金)

『野ブタ。をプロデュース』を拝見して、、、

 最近、若者の間で、『野ブタ。をプロデュース』という本が話題となっているようである。この家の中学生の次女も最近その本を購入したようで、学校から帰って来るなりソファに座って夢中になって読んでいる。

 「史折、何読んでるんだ?」

 と、家に帰ってきた父親が言う。次女の読書があまりに珍しかったようである

 「ん? 『野ブタ。をプロデュース』って言う本。超、面白いんだ。」

 と、次女が答える。

 「漫画か?」

 と、父親が尋ねる。尋ねておきながら、近付いて来て首をぬうっと伸ばして覗き込む。

 「何だ、活字じゃないか。偉いぞ、史折。」

 と、父親が感心する。

 「この本は、芥川賞候補にもなったんだよ。」

 と次女。父親は、

 「おお、そんな本読んでいるのか、史折は。大人になったな。」

 と、言っていよいよ感心している様子である。

 我輩は、次女の読んでいる『野ブタ。をプロデュース』なる本に少々興味を覚えたので、側に寄って盗み見ようと思った。以前、次女がテレビを見ている時に接近した時は、邪魔者扱いにされたゆえ、今度は慎重に忍び寄り、30㎝程離れた場所から覗き込んだ。やや横からは文字が見えにくかったけれども、次女のページをめくる回転数がスローペースであったため、別段覗き見るのに支障はなかった。

 『野ブタ。をプロデュース』、、、。ふむ、どれどれ、修二という男子学生が野ブタといういじめられっ子を人気者にしていく、、、、ふむ、ふむ、人に嫌われるのが恐い、、、周りから一人で離れているのは寂しいが、かといってくっつきすぎると息苦しい、、、、。

 この本の著者は、白岩玄なる若者らしい。我輩の思うに、この『野ブタ。をプロデュース』なる本は、ユーモアの中にも若者の繊細な感性が随所に感ぜられて、中々良い本である。我輩も今では一個の猫として重厚な威厳と並々ならぬ貫禄を身につけているが、『野ブタ。をプロデュース』に出てくる修二君や、野ブタ君のような悩みを抱えていた傷付きやすい頃もあった。もし我輩がその頃にこの本と出会っておれば、やはり現代の青少年の如く、この本に感動したであろう。あの頃の我輩にとっての太宰氏や芥川氏が、現代の青少年少女にとっての白岩玄やもしれぬ。   (終)

 追記:以下、白岩玄氏の『野ブタ。をプロデュース』を紹介しておくので、家の近くに本屋がない読者諸君や、本屋まで行くのが面倒な読者諸君、あるいは、今すぐ欲しいという読者諸君は、ネット上で簡単に本が買える有名サイト、アマゾンを紹介しておくので、下の写真をクリックしてみてはいかがであろう。

野ブタ。をプロデュース Book 野ブタ。をプロデュース

著者:白岩 玄
販売元:河出書房新社
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2005年12月 8日 (木)

こんな母親いるのだろうか?

 この家の母親の頭の中はどんなふうになっているのだろうと、我輩は疑問に思う。気違いではあるまいか、、、。というのも、以前、こんなことがあったからである。

 この家の母親は以前から、yahooの掲示板に熱中している。この母親は、小泉政権のイラク自衛隊派遣に反対して、政治の掲示板に何度も投稿しているのである。

 yahooの掲示板を使用したことのある者は承知しておるであろうが、活発な議論の展開されている掲示板に投稿すると、すぐに反論がなされるという具合である。この家の母親も、ぐうたら主婦であるものの、根は負けず嫌いであるから、自分の投稿した記事に反論が寄せられると、「こんにゃろう、、。」と剥きになって一生懸命、再反論を考えるという次第である。

 この家の長男も剥きになっている母親をからかって、「そんな奴に再反論もできないのか。」などと煽り立てる。また、いつまでも反論に頭を悩ませている母親に煮えを切らして、「どれどれ。」と一緒になってパソコンを覗き込んだりする。

 この長男坊は我輩の知る人間の中では最も道化者と呼ぶにふさわしい人間である。道化者といっても、例えば太宰治氏等のように人間に対する怯えからわざと道化者を演じているというのではなく、本当の道化者なのである。以前は、この長男坊のことを非凡なる説得力の持ち主などと書いたこともあったが、あれは我輩の買い被りであった。

 今、太宰氏について触れたこともあり、少し太宰氏のことを述べれば、太宰氏の小説は、我が猫族の間においても、広く読まれておる。そして、我輩もその愛読者の一人である。我輩が太宰氏の『人間失格』を初めて読んだのは、我輩がまだ若かった頃であるけれども、そのときは人間にもこれほどデリケートで傷付きやすい者がいるのだなと感心した次第である。

 やや話がそれたが、こんなふうに、この家の母親は、大学卒業後もふらふらしている長男坊と一緒になって、yahoo掲示板に熱中しているのである。

 そんなある日、この家の母親はこの家の父親と夫婦喧嘩をして、憤慨して家出をした始末である。喧嘩の原因は、この家の父親が浮気をしているとか何とかいうことであったが、とりあえずこの家の父親が浮気をしているかどうかは別として、とにかく、母親は家を出て行ったわけである。

 といって、翌日にはちゃんと帰って来た。昨日の怒りは嘘のようにけろりとしておる。母親は長女に「昨日は、どこに泊まったの?」と尋ねられると、

 「いやあ、それが、聞いて欲しいわけ。」

 と、意味ありげなことを言う。無論、我輩も何だろうと思って、側へ近寄って話を聞くことにした。母親は、目を大きく見開きながら、話し始める。

 「昨日、最初は車でT市のビジネスホテルに行ったわけ。でも、何か、そのホテルが陰険な雰囲気なわけ。フロントのボーイも陰険な感じで嫌だったわけ。それで、まあ、でも、とりあえず、チェックインして部屋に行ったわけ。そして部屋で本を読んでいたら、何か隣の部屋で変な音がするわけよ。何か、工事をしているみたいな音が。」

 すると、その話を聞いていた中学生の次女が、

 「そんなのだたの工事じゃん。何が面白いの。」

 と、文句を言う。母親は、続けて言う。

 「いや、問題は、何でそんな工事をしているかってわけよ。お母さんは何か変だなと思ったわけ。そしたら、はっと思いついたわけ。もしかして、壁をドリルで壊してお母さんのことを殺しに来るんじゃないかって。」

 そう言って、少し興奮している様子である。いつものぐうたら状態と違って目が爛々と輝いている。ただ、母親の話している様子が生き生きとしていても、話している内容が内容であるからやや痴呆的な感じがする。すると、

 「ふん、本気で言ってるのか。誰が狙うっていうんだい。面白いじゃないか!」

 と、長男が嘲笑う。

 「だって、以前、yahooの個人情報が漏洩したっていう事件があったじゃないの。 それでその時お母さんもyahooを使ってたから、お母さんの情報も漏洩したわけ。お母さんはyahooの掲示板で政府のイラク自衛隊派遣に反対する記事を何度も投稿してるでしょ? その情報が右翼に渡ってて、ちょうどその泊まろうとしたホテルが右翼団体の経営するホテルだったんじゃないかって思ったわけ。」

 と、母親が言う。

 「どういうこと?」

 と、次女が尋ねる。

 「だから、ホテルのチェックインをする時にさ、住所とか氏名とか書くでしょ? その情報でお母さんのことがばれたんじゃないかと思ったわけよ! お母さん、反論ばかり書いてたから、右翼が怒ってて、それで、お母さんの命を狙いにきたんじゃないかって思ったわけよ! フロントにいた陰険なボーイが幹部に通報したんじゃないかって!」 

 「わけ」という言葉が一々耳につくが、母親の興奮はここへきて絶頂に達したようである。しかし、長男坊は、「へええ。す、すげえ。」とおどけて、鼻から馬鹿にしている。そして、じっと黙って聞いていた次男に、「なあ、善治、何とか言ってやれよ。」と言う。

 因みに我輩の観察したところによると、この家の次男坊は、まだ若くして中々の知識人であり、端整な容姿をしていており、家族の中でも一目置かれた存在である。ただ、プライドが高く、それゆえ少し近寄り難い印象を与えている。我輩も、他の家族の部屋には気ままに侵入できるが、次男坊の部屋となるとやや緊張し萎縮した気持ちになってしまうのである。

 「その辺の推理小説よりは面白いと思うよ。」

 と、次男が言う。どうやら次男も小馬鹿にしているようである。長男は、母親の方を向いて、どうだと言わんばかりに「あはは」と笑う。すると、ふいにまた次男が口を開いた。

 「でも、全くありえないと言い切ることはできないし、実際、独裁国家なんかでは十分ありうる話さ。現代社会における情報革新は、政治的にも重要なテーマを内包しているからね。つまり、1980年代以降、新たな情報技術としてインターネットが急速に普及した。このことによって、市民が掲示板などで政治的発言にさらされるようになり、その発言に大衆が操作されたり、世論の形成に影響が出てきたりする恐れが生じた。実際、中国では、ネットによって団結した市民が暴動を起こさないように、政府がネット規制に関与しているでしょう。確かに、日本は中国と違って民主主義国だから、あそこまで大胆な関与はしないさ。でも、世論とインターネットが情報革新により強力に連動し始めた今、政府としてもそのことに全く無関心ではいられないのではないのでしょう。つまり、ネット上で政府を批判する者の個人情報をチェックして、場合によっては、何らかの対応をしてくるということはありうる話なのさ。権力というものは、常にその反対勢力を鎮圧しようとする。これは、疑いようもない政治的事実さ。今の日本は一応平和だから、そこまでしなくてもいいというだけなんだと僕は思うよ。」   

 この次男の話には、みな聞き入っているようであった。ようであったという推量でしか言えないのは、我輩も次男坊の話に聞き入っていて、周囲を観察する暇がなかったためである。

 「ほらほら、善治もそう言ってんじゃないの。」

 と、今度は母親が長男の方を勝ち誇ったように見る。すると、再び、次男が話し出した。

 「でも、今回のホテルでの出来事は、やっぱり違うと思うよ。もし、本当にホテルぐるみでお母さんを殺害しようとしたなら、何もわざわざ隣の部屋から壁に穴を開けるでしょうか? それよりは、普通にマスターキーで部屋のドアを開ける方がいいでしょう。」

 「そうそう。」と相槌を打ったのは、長男坊である。母親は、ロダンのような姿勢で頭を抱えて考え込んだ。しかし、すぐにロダンのポーズを解体してまた話し出した。

 「とにかく、お母さんは急に恐くなって、すぐチェックアウトしたわけ。お金はもう戻ってこなかったから、無駄金使っちゃった。でも、命には換えられないから。」

 「で、どうしたの? どこに泊まったの?」

 と、次女が不安そうに尋ねる。次女はどうやら少し母親の側に立っているようである。

 「うん、それで、もう仕方ないから、車の中で寝たわけ。ああ、本当に恐かった。」

 と、母親が答える。そして、「やっぱり我が家が一番だ。」と自分から家出をしていて、ノー天気なことを言う。

 我輩はこの一部始終を観察していたけれども、この家族の会話の様子は喜劇のようでもあり、また悲劇のようでもあった。もう少し冗談めかして話してくれれば辛うじて喜劇で終ったかも知れぬのに、終始必死に真顔で語っていたために、悲劇の感を拭い捨てられなくなった。

 ただ、我輩がこの母親の話で忍耐しかねたのは、この母親が右翼の逆襲を食らったと思った時に、一目散にホテルから退却した点である。我が猫族にとっては、如何なる理由であれ、逃亡は不名誉な行為である。我輩だったならば、部屋の壁に穴を開けて責めてこようとしている敵がいたならば、敵の逆襲を食らう前に、自分の部屋のベランダから隣の部屋のベランダに侵入し、勇猛果断にそこから部屋に突撃したであろう。部屋の窓が閉まっていたならば、固い物でもぶつけて割って入るまでである。そして、いざという時のために日々家の壁で研いでおいた鋭い爪をもってして、敵の顔に、にゃにゃにゃっと痛恨の一撃を食らわしたであろうに。   (終)

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冬のボーナスもらって、威厳買う?

 我輩の住む家で、最近、このような会話があった。

 「冬のボーナスもらったら、家族で旅行に行こうよ。」

 と、こう父親に意見したのは、中学生の次女である。普段は家族に侮辱されてばかりいる父親も、この時ばかりは満面の笑みを浮かべながら、

 「そうだなあ。」

 と、もったいぶっている。すると、OL生活4年目、27歳の長女も、

 「そうだよ。たまには、ゆっくり温泉でも泊まりに行かない?」

 と、父親に意見する。父親は、また、「うむ、そうだなあ。」と、やや声を抑えて言う。普段と違って、何となく威厳が感じられる。

 「家族みんなで旅行するのなんて、今のうちだから、どこか行こうよ。子どもがみんな大きくなったら中々予定が合わなかったりして行けないよ。」

 と、今度は、母親が加わる。すると、父親は、にやにやしながら、

 「じゃあ、そうするか。でもな、言っておくけどな、誰のおかげでボーナスをもらえると思っているんだ?」

 と、そう言って家族の顔を得意気に見渡した。普段は、感謝の言葉など皆無である母親も、「そうだね、お父さんのおかげだね。それは感謝しなくっちゃね。」と言う。娘達もそれに頷いている。父親は、「だろう?」と言って妙に満足した次第である。

 この家の父親は、先にも述べたように、いつもは家族の尊敬は当然の如く得られていない。子どもからは、正直に言ってしまえば、侮蔑の目で見られている。昨日の夕食などでは、父親がまた例の宇宙の神秘の話をした。

 「宇宙の力は壮大だぞ。こう、何といおうか、大気には不思議な力があって、その力を自然に受け入れることが大切なのだ。」

 そう言うと、父親は自分がまるで全知全能の神であるかの如く両手を大きく広げて深く深呼吸を始めた次第である。次男坊は何も言わずに御飯を食べ、長男は面白がって父親の真似をして両手を広げ、「私は、偉大だ。」などと言ってからかっていた。次女は、「そんなの嘘だあ。馬鹿じゃない。」と言っていた。

 と言っても、この父親は何も痴呆症なわけではないのであり、現に高校で美術を教えているのである。高校生もこの父親から何を教わっているものやら、、、、我輩はこの父親を見ていると日本の高等教育の質というものに疑問を抱かざるを得ないのであるが、それはともかくとして、そんな父親もこの日はボーナスのおかげで、家族の感謝を受けているわけである。

 したがって、我輩の思うに、この家の父親のような状況に追い込まれた世の中の父親がいたならば、ボーナスは、この父親のように使うべきであろう。つまり、普段発揮できない父親の威厳を回復するために、家族サービスに使うのがよかろうというわけである。その際、この言葉を忘れないで言うことが大切である。

 「誰のおかげでボーナスをもらえると思っているんだ?」、、、と。

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2005年12月 7日 (水)

この家の父親の考える恋愛

 昨日、この家の父親の怪しげなノートを見つけた。そのノートには、 以下のようなことが書かれていた。

 

 “私の考える恋愛というものは、現代社会に生きる人間、特に若い世代の人間には、保守的なものに見えるかも知れぬけれども、やはり恋愛の形式は、純愛でなければならぬ。

 純愛とは、簡単な定義をしてみるならば、相手を想う感情で胸の中がいっぱいとなり、胸が苦しくなるという精神状態である。

 純愛をした者は、人生の儚さと美しさを、より一層知ることができよう。そして、純愛の経験は、君の人生において、常に至高の美に包まれているはずである。

 プラトニックな形式は、永遠に滅びない。のみならず、時の経過とともに、一層美しく成熟するのである、、、。(ここは赤いペンで書かれていた。)

 私も思い出す、少女のしっとりとした唇に自分の唇をそっと重ね合わせた瞬間を、、。そうした記憶は、恍惚としたヴェールに覆われて美しく甦ってこないことはなかった、、、、。”

 

 と、こんな具合である。

 何故こんなことを書いたのであろう。学校の生徒に教え聞かせようとしたのであろうか。まあ、それはともかくとしても、「純愛」とは何であろう。父親はわざわざ丁寧に「純愛とは、、、」と定義なんぞを付しておるが、別にこれは「純愛」などと呼ばずに普通に「愛」で良いではないか。

 「愛」という概念の他に「純愛」という概念があるということは、裏から云えば「不純愛」というものもあるということだが、「不純愛」などという概念が本当にあるのだろうかと我輩は疑念を抱くのである。そもそも「愛」という概念の中に「純粋」という概念が内包されているとすれば、「愛」という言葉の前に「純」という言葉を付すのは同義語の反復であり無意味であるし、逆に、「愛」という言葉の前に「不純」などという意味的相反語を付すことは、全くの矛盾であり言語的錯乱を引き起こしてしまうであろうに。したがって、「純愛」、「不純愛」等という言葉は、おかしいのである。

 我輩が最初に「純愛」という言葉を目にした時は、こうした疑問が一気に噴出しひどく困惑させられた次第である。しかし、人間の用いる言語には他にも論理的に不自然な言葉が沢山ある。

 例えば、以前、この家の父親は、高校生の三男坊に「しっかり頭で考えなさい。」などと説教を垂れておった。この時も我輩は不意に違和感を感じた。人間という種族は頭以外にも思考することのできる身体機関があるのだろうかと思い、戦慄した次第である。然れども、いくら人間の身体を観察しても頭以外に思考することのできる場所が見当たらないので、どうもこれは言葉使いがおかしかったのではないか、と気付いたわけである。

 やや話が父親の考える恋愛というテーマから脱線してしまった。しかし、この父親の書いた文章も、我輩に言わせれば、少々げえっとするものであった。この家の父親のような見るも無惨な老男子が恋愛を語っているところなどは、滑稽さを超えて哀れである。特に最後の「私は思い出す、、」という部分などは、いくら父親にとっては甘美な麗しき思い出といえども、我輩にとってはげろげろパアというカビの生えた魚を誤って口にした時のような気分である。

 たとえ父親の若い時分のことであるとしても、接吻をしようと口を尖がらせている父親の姿を想像するのは御免である。   (終)

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ぐうたら主婦の実態

 我輩の家の母親は、いわゆるぐうたら主婦である。去年の冬などは、常にコタツを占拠していたため、コタツの中に入りたい我輩にとっては甚だ迷惑であった。我輩が先にコタツを占拠していると、

 「こらあ、出て行きな。」

 と言って、短い大根のような足で我輩の体を無理矢理退けるのである。我輩が抵抗して占拠し続けようとすると、その少し色褪せた大根のような足が今度はさらなる馬力でもって我輩を排除しようとするので、我輩はいつも仕方なくコタツから撤退せざるを得ないのである。

 そして、当の母親は何をするのかと言えば、他でもない、ただビーズの雑誌を見ながらせんべいをかじっているだけである。もし母親が世の中のさらなる発展に貢献するような仕事をするというのならば、我輩とて、謹んで自ら退去しよう。が、ただ雑誌を見ながらせんべいをぼりぼりとかじっているだけなのである。

 因みに、部屋の中は読みっぱなしの本や脱ぎっぱなしの服、その他、諸々の雑貨で散らかったままである。にもかかわらず、母親は掃除をしようともしないのである。

 「掃除しても掃除しても、すぐ散らかすんだから。ちゃんと自分で使ったものを自分で片付けていれば、部屋はいつもきれいなわけ。」

 と、よく母親は愚痴を言う。確かに、朝きれいにしても、長男やら次男やら三男やら次女やら長女やら父親が部屋にやってきて、夜になるといつのまにか散らかっておる。しかし、掃除をしてもすぐ散らかるからといって掃除をしなければ、ますます部屋はひどくなるのであるから、我輩としてもそろそろ掃除をして頂きたい。

 「今日の夜は御飯作らないから、その辺にあるものを勝手に食べな。」

 このセリフも何度耳にしたであろう。

 この母親も、10年くらい前までは読書家であり、さらに20年くらい前まではニーチェやドストエフスキーなんぞを読む文学少女であったというから、人間の変化というのも甚だしいものである。    (終)

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親子喧嘩

今日、我輩の住む家で親子喧嘩があった。OL生活に励む27歳の長女が両耳にピアスなる金具をつけ、そのことで母親と言い争っていたのである。

我輩は、この親子喧嘩をたっぷりと鑑賞おった。

「理恵子、ピアスなんて外しなさい。」

と、母親が怒鳴る。怒鳴ると書くと驚く者もおるかもしれぬが、この家では日常茶飯時であり、我輩はもう十分抵抗力がついているゆえ、また始まったかという気持ちである。

母親と長女がピアスのことで口論を始めるや否や、この家の父親は己の牙城たる二階に早期撤退した。夫の協力を得られなかった妻は、

 「学校の生徒がピアスをすると注意するくせに、自分の娘がしても全然注意しないんだからね。参っちゃう。本当は逆なわけ。自分の娘の方こそ注意しなくちゃならないわけ。」

 と、共に戦おうとしない夫を罵倒する。しかしながら、父親のこの撤退にはある程度、合理性もある。父親は嘗ての経験から、母親の起こす紛争に介入すると碌なことはないということを弁えているのである。というのも、母親の紛争に協力しても、言わば同盟国であるはずの母親が、なんと云おうか、裏切りと云おうか、仲たがいと云おうか、おかしなことに父親まで攻撃してくる。攻撃の対象が次第に父親に転化されてゆく。今回一緒に闘ったとしても、どうせ途中から「ほら、もっと父親らしく言ったらいいでしょう。」、「父親とは思えない。」という具合に、思いもよらぬ、いや、予想通りの、逆襲を食らいそうである。それゆえ、父親自身の利益を鑑みれば、早期撤退もやむを得ない選択であった、と我輩は考察するのである。

そんなことを考えておると、母親と娘が火花を散らし始めた。

「ピアスなんて開けてるのはね、馬鹿なわけ。」

 と、母親が言う。

 「だって、イヤリングはださいのばっかりなんだもん。ピアスにはかわいいのがいっぱいある。」

 と、娘が健気な反発をする。

 「ちゃんとしてる人はピアスなんかしてないよ。NHKのアナウンサー見てみなさい。雅子様だってイヤリングでしょ。」

 と、母親は、具体例を挙げて責める。

 「お母さんは、いっつも一か百かなんだ。極端なんだ。中間がないんだ。」

 娘はピアスを駄目だと叱る母親を、極端な人間だと思っているようである。

 「ピアスなんて、もう、そのレベルだもんね。それで海外に留学したいです~海外で平和紛争論を勉強したいです~なんて言ってるんだから。参っちゃうねえ。」

 と、母親が痛い所を突く。

 「なんだ、お母さんなんていっつも家にばっかりいて、掃除もしないでインターネットばっかりやってるぐうたらのくせに!」

 と、痛い所をつかれた長女が、今度は母親の痛い所を突き返す。

 「とにかく、そんなピアスなんてやってるのはね、男と遊びほうけている女ばっかりなわけ。ピアスなんてしてると、私はそういう女ですう~なんて言ってるのと同じなわけ。」

 と、母親。それは極端な気もするが、この母親はそう思っておるらしい。

 「お母さんにはわからないんだ。ピアスなんて普通じゃない。」

 と、娘は苛立つ。勿論、母親にはピアスを理解しようなどという気は全くない。

 「もういい、駄目でいいんだ。何とでも言えば。」

 と、最後は長女が開き直る。

我輩はこの一部始終を傍観していたけれども、娘はピアスをお洒落の許容範囲だと思い、母親は言語道断の非行行為だと思っている。どうやらこの認識上の相違がこの紛争の本質的な原因のようである。然れどもこの調子だと、相手を説得して終わるというスマートな決着はつきそうにない。この後、母親は、なるべくこの紛争の早期決着を図ろうと、早い時期にこの母親の母親、すなわち長女の祖母や、姉、すなわち長女の叔母、に電話などをして彼女らを味方につけて長女を追いつめようとしたけれども、期待していたほどの効果は得られなかったようである。

我輩と共にこの紛争を傍観していたジョン氏は、母親の作戦についてこう評した。

「この母親が自分の母親や姉を利用したことは、大した効果がなかったばかりか、むしろ、祖母が孫に対して中立の立場を崩さず、叔母が現代流行に少なからぬ理解を示したために、かえって長女を優勢にしてしまった。」、と。

我輩はジョン氏もたまには最もなことを言う、少々見直した次第である。

ここであえて我輩の見解を述べるならば、長女が耳にピアスを開けたことは幾分、思慮に欠いた行為であると思われる。それは、我輩、猫といえども、「身体髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也」という孔子の教えに、人間的に健全な思想を感ずるがためである。

ピアスといえば、以前芥川賞受賞で話題となった『蛇にピアス』を思い出す。現代の若者の行為はよく分からないというのが、この本に対する我輩の率直な感想である。ここの長女も、『蛇にピアス』でも読んでピアスでもしたくなったのだろうかと思い、我輩は長女の部屋の本棚を調査してみたが見つからなかった。 

こんなことを考えていると、部活から帰ってきた高校三年生の三男と、大学卒業後もふらふらしている長男が部屋に入って来た。すると母親は、同盟軍が加わったかのように勢い付き、「お姉ちゃんのピアスどう思う?」と二人に問いかけた。するといきなり長男が演説でもするかの如く大声で話し始めた。

「姉貴は、小中高で、まあ、優等生の部類に属していたし、大学に至っては法学部の総代であった。そんなお姉は、当然、ピアスなどしなかったし、昔から、ピアスをしたり、髪の毛を染めたりして強がる輩を下落者と見なして軽蔑していた。中学校の時などは